Essay

エッセイ

Aさんの紙袋

 

 「先生、今までお世話になりましたJ

 
 美しいお辞儀とともにAさんが両手で丁寧に差し出してくれた紙袋をそっと開けてみると、Tully’sのブラック缶コーヒーが入っていた。 

 

 さかのぼること約8ヶ月前の7月7日、私はゆたかカレッジにやってきた。大学を卒業してからの9年間、公立の中学・高校の教員として教壇に立ってきた私。生まれて初めての転職にドキドキしながら、ゆたかカレッジの教室を覗いた。

 

 そんな私の目に飛び込んできたのは、元気な挨拶と人懐こいたくさんの笑顔。ゆたかカレッジに在学している学生ひとりひとりが生き生きとしていること。とても素直なこと。授業を受ける瞳が、あまりにも真剣でまっすぐで…。驚きとともに、ここに来たことは間違いではなかったと、そう強く思えたことを今でもはっきりと覚えている。

 

 ここでは最上級生のAさん。他のキャンパスから新任研修生としてやってきた私を、はじめは好奇の目で見るような…、警戒しているような…、そんな印象を受けた。だから私は、時間をかけて打ち解けようと努めた。

 

 授業では、強くこだわりを持っていて自分が納得する答えを出すまでにとても時間を要するAさん。そんな一面を垣間見て、なんだか自分とよく似たものを感じた。

 

 秋ごろからだろうか。彼女との会話が弾むようになってきたのは…。ほんのちょっとした体調の変化や、心の内をポツリポツリと漏らしてくれるようになり、やっと私も支援教員のひとりとして彼女に認められたのかと思うと素直に嬉しかった。

 

 ある日、お昼休みに、3年生のBさん、Cさんがたまたま近くの席にいたこともあり、Aさんと私を含めた4人は、“好きな缶コーヒー”の話題で大いに盛り上がった。

 

 最近、授楽以外での敬語も板についてきたBさんは、「自分は、〇〇の〇〇っていうコーヒーが好きですね一。」と言い、「私は、Tully’sのブラックコーヒーが好きやねえー。」と返した。「えー?それってどんなデザインですか?」と聞いてきたAさんの問いに私は、「えー?どんなデザインやったかなあ?黒いボトルにTully’sのマークと名前が入っていたような…。でも、色とかは、はっきり覚えていないなあ…。」たしかそんな会話だった。

 

 それから数週間後の2月27日。

 

 研修最終日もいつもと変わらない慌ただしい昼休みを迎えていた私。そこへやわらかい笑みを浮かべたAさんの姿が現れたかと思うと、大事そうに抱え差し出してくれた私への“餞別”。

 

 それは、あのとき何気なく交わした会話に登場してきた、私の一番好きな“Tully’sのブラック缶コーヒー”だった。

 

 彼女が、あの何気ない会話の内容を覚えていてくれたこと、数ある缶コーヒーの中から正しく選んで買ってきてくれたということ、限られた小遣いをやりくりして、私のために足を運んで買ってきてくれたということ、わざわざ紙袋まで買って準備してくれていたこと、授業中、片手でプリントを差し出す学生にいつも口うるさく「両手で!」と指摘する私を意識してなのか、丁寧に両手で差し出してくれたこと、さまざまな授業の積み重ねで習得された美しいお辞儀をこの場でしっかりと実践してみせてくれたこと…。

 

 手に取った缶コーヒーを見ながら、ほんの一瞬のうちにいろんな気持ちが溢れ出した。たしか彼女は・・・かってコンビニで働いていた経験があると聞いたことがある。当時は、たばこの銘柄がなかなか覚えられずに、そういう苦しみを誰にも相談できずにその職を辞めたとも…。

 

 だから余計に嬉しかった。

 

 ゆたかカレッジでは、多くの方々の愛情や温かい支援を受けながら、素直にしなやかに成長していく学生の姿がたくさんある。Aさんもその中のひとりにすぎない。彼らが自信をもってゆたかカレッジを巣立っていけるよう今後もその手助けをしていけたらどんなに幸せだろうか。

 
 一年後、Aさんが今よりもっと眩しい笑顔で就職の報告をしてくれる日がくるまで、あの“餞別”は大切にとっておこうと思う。

 
(FU)

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