Essay

エッセイ

ゆたかカレッジでの学生の成長で思うこと

 

 障害によってからだやこころの働きに困難のある学生は、基本動作が未学習であったり、誤学習であったりするために、生活・作業動作を十分に行うことができない。このような学生たちに十分にコントロールされた自己をどのようにして獲得させることができるかが支援教員の専門性だと考える。どの教育方法・理論に基づくかは、支援教代の障害観に委ねられるところである。

 

 学生の中には治ることのない病変を抱えている人がいる。病変そのものは同じとしても、不自由の程度は人によって異なり、同じ人でも状況によって、その不自由度は大きく変化する。良くもなれば悪くもなる。病変は変わらなくても、不自由の度合いはその人の気持ちによって変化する。

 

 たとえば、健康・スポーツでは、一見すると体の使い方と動きに大きな差が出ている。からだを自由に動かすことができないのは、そのからだの持ち主である自分が、自分のからだを動かす心理活動をうまく機能できないためである。自分のからだを自分の思ったように動かそうと意図しても、思うように動かない状態がそこにあるのである。からだを思うように動かすためには、意図する、努力する、そして結果として身体運動が起きるということになる。からだを通じた相互(支援教員と学生)のコミュニケーションを図りながら、自らのからだの動きを意図し、意識して動かす努力を行うことが重要である。さまざまな実態を踏まえながら授業計画を考えることは大変であるが、ひとりひとりのことを考えるのは楽しい。

 

 学生の皆さんとの何気ない会話のなかには、必ず、支えとなる友だちや支援教員が登場する。支援教員の心の内に、障害者に対する理解と教育をしようとする情熱があってこそ、よりよい生活が送れる。友だちと深く関わり合いたいと願う本人たちの思いと、友だちとの関わりが上手くいくように支援教員が環境を整えていくことで、「学生たち」の周りには、多くの仲間が集まってきている。

 

 私は、ここゆたかカレッジで苦手なことにも諦めずに挑戦していく強い意志を持った彼らに感動し、お互いに支え合っていることを学ぶことができている。障害を持った学生たちは、出生から成長の過程で多くの困難に遭遇しているが、その困難にひるむことなく、力強く立ち向かっている。

 
(YK)