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小さな見えない成長を積み重ねるゆたかカレッジ

 

 成長ということばの意味合いには、いろいろなものがある。例えば、子どもが成長するといった時には、第一に身長が伸び体重が増加するような身体的な成長を思い浮かべることが多い。実際、このような身体的変化は視覚的に認知しやすく、しかも物理的に容易に変更できない決定的なものだ。

 

 一方、精神的成長については、身体的成長と同様に重要に扱われることが多いのは周知の事実だ。しかし、身体的成長との決定的な違いは、その捉え難さだろう。特に、毎日の細かい変化や成長は親近者でさえ判りにくいことがある。例えば、ある話し言葉に全く反応できなかったのに、時々反応して頷くような状態になり、最終的には明確に反応して、何か返答しているようになる場合がある。このような場合には、最初の捉え難い状態をいかに理解し対応していくかが大事になってくる。

 

 ゆたかカレッジで支援教員として学生に接していると、毎日の細かい状態を認知して、適切な対応をしていくことが重要になってくると感じる。しかしながら、即座に適切な対応ができず後悔することが多い。その時には、学生たちの純粋さや素直さ、優しさに励まされて、元気をもらいながら、次回こそは適切に対応しょうとしている。少しでも、学生の側に立って役立つことに喜びを感じている。

 

 そのような具体的な例として、比較的障害の重いクラスのパソコン実習でのできごとがあった。私が学生たちのワードによる文章の打ち込みの授業を担当したとき、ある学生が打ち込みの間違いをしばしば行い、支援教員へ助けを求めることが多かった。私は、その学生は時々でも正確に打ち込んでいるので、練習してうまくならなくても、それを大事にしてあげたいと思っていた。つまり、その学生が間違わずに打ち込むようになることをあまり期待していなかった。

 

 ところが、1ヶ月後に再度打ち込みを行うと、その学生は間違いもなく、すらすらと文章を打ち込んだ。私は、非常に驚き、そして手を叩いて喜んだ。前回の私の授業の後にも、別の支援教員たちによってパソコンの練習をしていたので、その成果が出たのかもしれない。本当によかった。その時には、その学生はエクセルによる数値の打ち込みも上手にできていた。電卓によって数字の打ち込みに慣れたのかもしれないが、それにしても何か急に上手になった気がする。

 

 ちょっとした成果ではあるが、今後のその学生の人生にとっては大きな成長となったであろう。

 

 そんな成長のお手伝いができて、私は晴れやかな気持ちになった。

 

(AY)

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