Qualification acquisition support
マサチューセッツ州立大学ボストン校(UMass Boston: University of Massachusetts Boston)(図7)も知的障害者を積極的に受け入れているが、前項のレズリー大学とはまったく異なる形態を取っている。UMass Bostonでは知的障害者だけのクラス編成や授業は行っておらず、知的障害学生たちは、自分の興味ある内容を教えている一般の授業に参加して学んでいる。
この大学に進学する知的障害者のほとんどは、障害の程度が軽度であり、日本では知能指数が70以上の「境界」とされる人たちである。大学には、彼らの学生生活をサポートしている障害学生サポートセンターが設置されており、障害学生たちのさまざまな相談に乗ったり、周囲との調整を行ったりしている。たとえば、周囲に人が多くて騒がしい状況が苦手な学生は、授業と授業の合間にサポートセンターを訪ね、自習をすることも可能である。
また高校卒業資格がないために、授業に来ても単位を取得できない学生もいる。大学側はそうした学生にも、単位が取れなくても学校に来てキャンパスライフを送ってほしいと願っている。
その理由の1つは、大学に入るまでの学齢期がずっと特別支援教育の対象で、学校でも知的障害者とばかり関わってきた彼らに、大学で初めて同年代の一般の学生たちとの接点ができることである。そのことの意義はとても大きく、大学で一般の人との関わり方を学んだり、一般の生活様式を学んだりすることは、卒業後の社会生活に大きく役立っている。
また健常者の側も、日常的に大学のキャンパス内で知的障害者と自然な形でふれあうことは、知的障害者に対する誤解や偏見を取り除く上で大きな意味をもっている。
大学に知的障害のある学生が入学して来ると、サポートセンターではまず、その学生が何に興味があり、どの授業を受講して何を学びたいのかなどについて確認をする。その上で、その学生に適する授業を選択し、授業担当教員に、受講を希望している学生の状況や要望を報告する。さらに、その学生に応じた教育や支援の方法等についてのアドバイスをしたり意見交換をしたりするなかで、教員は、授業の内容や進め方などについて調整を行うのである。
たとえば「クリエイティブ・ライティング」という詩や文章、小説などを書く英語の授業がある。それぞれの授業にも難易度によって段階が分かれており、知的障害学生は導入段階としての最も初歩の授業を、聴講生として登録する。聴講生とする理由は、正規の受講として成績がつく形で登録すると、学生本人にとって大きな負担となってしまうからである。教員にとっても、知的障害のある学生に成績をつけるのにはためらいもあるようだ。
こうして学生個々人の受講登録が終了し、授業を受け始めることによって、各学生は大学生として学内のコミュニティの一員となる。
学生たちはその後、学生センターで学生証の発行手続きを行い、学生証を受け取る。学生証を提示することで、学生たちはキャンパス内でさまざまなサービスやアクティビティへのアクセスが可能となる。サポートセンターで、自分が必要とするさまざまなサポート、たとえば個別の補助教員を要請することなども可能である。
スポーツ関係であれば、プールやバスケットボールコート、あるいは競技場などの使用が可能となり、その他さまざまなアクティビティやサークル活動に参加することが可能となる。
音楽に興味のある学生は、音楽機材等の設備が大変充実しており、そこでドラムやピアノ、歌のレッスンなどの受講も可能である。日本に興味があるからいつか日本に行きたいと日本語を学んでいる学生もいるし、それまで泳げなかった学生が水泳の授業を取ることによって泳げるようになるケースもある。
このように、本人が自覚して自由にさまざまな活動ができるようになっていく。さらに「自分が新しく何ができるか」という自分自身の再発見にもつながるのである。
また、さまざまな交通機関の利用方法を学ぶ「トラベルトレーニング」という授業があり、それを受講することで電車の乗り方なども習得する。学生たちは、自宅や学生寮から電車で最寄りの駅まで来て、そこからシャトルバスで学校まで来て授業を受けて帰ることが可能になり、次第に行動範囲が広がっていく。電車やバスを乗り継いでボストン美術館などに自分で調べに行ける学生も増えてきている。
学内には、知的障害学生に対する支援方法として、学生同士によるサポートシステムが存在する。これは健常の学生と知的障害学生とがペアリングを行い、一般学生は障害学生のメンターとして、1対1で週に最低1回、1時間ほどいっしょに過ごす時間を設けることになっている。
そこでは、たとえばコーヒーを飲みながら、あるいはキャンパス内を散歩しながら、さらには授業を受ける教室内などで、学友とさまざまなことを話し合う機会ができる。おおむね同じ年頃の学生がメンターとしてペアになり、そこからメンターの紹介でほかの友だちの輪に入ることなどにより、多くの学生が知的障害学生に対し、どのようなところでどのような援助が必要かなどについて理解できるような仕組みをつくっている。
そのような環境設定をすることで、障害学生たちが学生生活で困ったときなどに、サポートセンターのオフィスを頼るだけでなく、キャンパスのほかのところにも自らの居場所をつくるようにしているのである。
こうした取り組みは、知的障害学生にとって非常に有効に機能しているという。実際、知的障害のある学生たちの通常の行動や反応は、同じ年頃の健常の学生と共通している部分も少なくない。
たとえば、入学当初は授業に行くのに緊張したり、ある授業は好きだがほかの授業は嫌いであったり、始業時刻に間に合わず遅刻したり欠席したりするなどの行動は、ちょうど高校を卒業して入ってきた健常の新入生とほぼ一致している。
大学で何学期も過ごしていると、学生たちには、入学当初と比べて大きな成長が見られる。初めは自信がなくおどおどして何をしたらいいのかわからなかったのが、「自分にもこんなことができる」と自信をもち、さらには自立や独立心が旺盛になる。それにつれて、初めは人前で話すことをためらっていた学生も、首都ワシントンなどに行って大きなステージで堂々と1人で発表することさえできるほどに自信をもったり、独立心をもったりしている。
クラスの教員やほかの学生たちも、知的障害学生がいることによりさまざまな恩恵がクラスに働いていると語っている。たとえば教員たちは、普段の普通の学生から返ってくる質問や意見とは異なる視点からの意見などが出されるという。普通の常識では考えられない発言によって、ほかの学生たちはより広範にものごとを考えさせられるようになったり、教員も「こういう見方もあるのだ」と知る機会になったりするという。
たとえば詩の授業で、一般の学生たちは体裁よく格好をつけた作品を作り出そうとするが、知的障害学生は体裁などに構わず、思ったことをストレートに表現する。これは荒削りではあるが周囲への説得力や感動をもたらすことが多く、それにより「本当の創作活動というのはこういうものなのだ」と新たな発見に心躍らす学生たちも少なくないという。
単位が取れず学位も得られないが、授業を取ることでこのようにして、就職に有利に働くようなスキルを身につけるのである。それらはいわゆる「ソフトスキル」というもので、自信をもつことや自分が自立していろいろな行動ができるようになることは将来、仕事をする上でとても重要なことなのである。
また大学では、アルバイトとして学内で働いている知的障害学生も少なくない。さまざまな事務の補助業務や、キャンパス内にある植物園の管理・清掃業務など、さまざまな業務を行っている。こうした労働に対しては、賃金を支払うための学内の予算や他団体からの寄附金などが活用されている。
このように雇用関係を結ぶメリットの1つは、それにより学生たちがより頻繁にキャンパスを訪れ、より多くのことをほかの学生たちから学ぶ機会が増えることがあげられる。
アメリカでは今日、知的障害者が福祉作業所で単純作業をするのではなく、一般の健常者といっしょに仕事ができるような雇用体制にしていこうとする動きがあり、福祉作業所は徐々に閉鎖されつつある。
このようにインクルーシブな社会を作る上で、THINK COLLEGEが中心的に取り組んでいる、大学が知的障害者を積極的に受け入れる事業は、まったく新しい今日的な取り組みである。レズリー大学やランドマーク大学、バーナーミューザー大学などでは、知的障害学生を積極的に受け入れるために、1人あたり200〜300万円のコストをかけて、知的障害者のための学生寮を建設している。
各大学は、できるだけ積極的に知的障害学生を受け入れるべくハードルを低くして、たとえ単位は取れなくても知的障害のある学生たちが一般の学生といっしょに学ぶ機会を得て、双方に恩恵があるようにしている。
アメリカには「コミュニティカレッジ」という、公立で学費が安く入りやすい大学がある。そうしたところでもインクルージョンのクラスが増えてきている。コミュニティカレッジの場合、通常の総合大学に比較して学問的な大変さがある程度軽減されており、学生たちの興味がある授業や趣味的な授業もあるため、知的障害学生を受け入れやすい状況がある。
マサチューセッツ州立大学など比較的規模が大きい大学では、1クラスの人数も多く、キャンパスも広くて授業の種類も多いなどの理由で、学生の状況によっては適応が困難なところもある。そのため学生が入学してきた段階で、本人の希望と実際の授業の内容や環境がうまくかみ合っているかについても検討し、必要に応じて大学側で調整を行っている。